2019年9月11日水曜日

Vivid Puppy Linuxの無線LANが復活。DebianやMX Linuxはやっぱ、重たすぎる。FMV BIBLO NB50Sには。

ここ数日、Debian10(buster)ヤMX Linux 18.3をUSBにいれてみたが、ワタシのFMV-BIBLO NB50Sには重た過ぎる。両方ともとても素晴らしいのだが、パシンパワーがそれなりに必要なため、非力なマシンではサクサクと使えない。それに引換え、vivid puppy linuxは軽快だ。引越しのせいでADSL環境が貧弱となり、wan接続が失敗していたのだが、このところのdebianとMX linuxのインストールで、経験したことが閃いた。
「なぜ、つながらないのか、調べたのか」ということだ。「悩んだときには、いろいろ、試すのも良いが、まずは何が悪いのかを突き止める。これが成否を分けるのだ。」
 そこで、早速、端末でdmesg | grep ath5kと叩くと、
ath5k can't disable ASPM; OS doesn't have ASPM control
というメッセージがでていた。 このトラブルはどうすればいいのか、すでにググってみて、わかっているのだ。つまり、
rmmod ath5k
modprobe ath5k nohwcrypt=1 no_hw_rfkill_switch=1
とすればよいのだと。。 早速、やってみたところ、見事に繋がったのだった。 あとは、これを/etc/modprobe.dにつくってあげればよい。
options ath5k nohwcrypt=1 no_hw_rfkill_switch=1
という行を適当な名前のxxxxx.conf(xxxxxはなんでもいい)に作ってあげればいい。 或いはワンライナーのワタシはrootでログインし、次のコマンドを打つ。
echo "options ath5k nohwcrypt=1 no_hw_rfkill_switch=1" > /etc/modprobe.d/ath5k.conf
anth5kでつながらない事象で、ACPMに関するエラーがでていたら、上記の回避策をトライしてみてください。


米澤 穂信(よねざわ ほのぶ)の「王とサーカス」を読んだ。
girl201909-2
girl2019 September
しばし、見知らぬ土地、ネパールのカトマンズの街を旅した。珍しい食べ物を食した気分に浸れた。機会があれば、ぜひチヤを試してみたい。また、心に残ったフレーズがあったので自分のために残しておく。カトマンズでの事件を取材するフリーライターの太刀洗 万智(タチアライ マチ)にラジェスワル准尉が詰め寄ったときの言葉だ。176ページにある。「それは本当に悲しんでいるのではなく、悲劇を消費しているのだと考えたことはないか?」「飽きられる前に次の悲劇を供給しなければならないと考えたことは?」「お前はサーカスの座長だ。お前の書くものはサーカスの演し物(だしもの)だ。」

「あとがき」にもメモしておきたい言葉があった。
「たった一つの知識が物の見方を根底から覆し別の知識が更なる修正を加えていく。やがて、蓄積された知識はお互いに矛盾しない妥当だけれど思いがけない物の見方へと収束していく。」

2019年9月2日月曜日

deban 10 xfce + FMV BIBLO NB50S で音がでないのを解決したよ

Debian10をFMV-BIBLO(NBS50S)にインストールしたところ、headphoneからは音が出るのにspeakerから音がでないという摩訶不思議な現象が起きていた。
解決方法は、/etc/modprobe.dにsnd-hda-intel.confを作り、options snd-hda-intel model=genericという「おまじない」を書いて、リブートするだけだ。
ワンライナーでやるなら、端末で
echo "options snd-hda-intel model=generic" > /etc/modprobe.d/snd-hda-intel.conf
と打ち、rebootだ。file名のsnd-hda-intelは何でもOKだよ。 ちなみに、model=fujitsuやmodel=autoではうまくいかなかったんだよなー。ここに到達するまでに3日かかった。 また、pluseaudioはちと重たいので、removeして、ALSAでやっている。

ここで、一息のコーナー。乃南アサの「六月の雪」を読んだ。まるで、しばし、台南を旅した気分に浸った。とても心に響いたフレーズがあったので自分のために残しておく。 460から461ページにある。現地の人に助けられ、祖母の故郷の旅を続ける未來が「一瞬、一瞬が過去になっていくんだなって。今、この時間も」と悲嘆するのに対し、老師(ラオスー)の林(リー)先生が返す。「しかし、過去になりますが、それが心に生きてある間は出来事も人も死にません。そこに必ずこの先の未来につながることが出てくると思いますね」と返していた。心の中で人は生きる。生きつづけることができる。忘れない限り。思い出せる限り。